今さらご報告
- | 2011.02.10 Thursday 06:16
今、百識王をなんとなく見てたんですが、2000たまアリコンで剛ちゃんにさらわれて一緒にフライングしたずにあのお子ってとっつーだったんですね。
イノじゃないけどおっきくなったねー。
この前友達に翼コンの報告をしてましたところ、ついついFiVE話になるあたり。友達は09年あたりのずにあ映像を見ていたらしいんですが、もはやいない子が大半な中、ふぁいぶだけがまったく変わらず・・・とか言うてまして。
あの子たちずーっと同じような立ち居地にいるんだなあ。
彼らにとって何がしあわせかよく分からないけどしあわせになって欲しいものじゃ。
いやまあ連れてってもらった翼ライブが楽しすぎたのでいまだぼんやりしてるんですけど。がわえがったー。つばっちもふぁいぶもサプライズ登場のたっきーも。
などとぼんやりしてる場合じゃなくて。
いい加減剛様芝居について書かないと。
以下ネタバレというかただの寝言なので畳みまする。
心の広い物好きな方だけどうぞ。
イノじゃないけどおっきくなったねー。
この前友達に翼コンの報告をしてましたところ、ついついFiVE話になるあたり。友達は09年あたりのずにあ映像を見ていたらしいんですが、もはやいない子が大半な中、ふぁいぶだけがまったく変わらず・・・とか言うてまして。
あの子たちずーっと同じような立ち居地にいるんだなあ。
彼らにとって何がしあわせかよく分からないけどしあわせになって欲しいものじゃ。
いやまあ連れてってもらった翼ライブが楽しすぎたのでいまだぼんやりしてるんですけど。がわえがったー。つばっちもふぁいぶもサプライズ登場のたっきーも。
などとぼんやりしてる場合じゃなくて。
いい加減剛様芝居について書かないと。
以下ネタバレというかただの寝言なので畳みまする。
心の広い物好きな方だけどうぞ。
いやあ、色々とびっくらしましたよ。
とりあえず初回見て、すぐに友達に「あもーんとは徹底的に趣味があわねえ!」と、わーわーメール。
一晩寝て冷静になったらだいぶ考えも変わりましたが。
さらに2回目も見たので、ま、まあ〜あれはあれでアリなんだろうよと思えるくらいにはなりましたけども。
いやだってさ、何をどーしたら溝口があんなにかーいらしくなるのよ。
あんなはかない子犬ちゃんでいいのかよ。
私としては、剛ちゃんに新たな展開を期待していたのですよ。
卑屈でプライドが高くて妬みやら憧れやらの全てを金閣に投影させて逆恨みするようなふつーに考えたらどーにも許しがたいような主人公をどんなにいやらしく演じてくれるんだろうかとわくわくしておったのですよ。
とっころが出てきた溝口は触れなば落ちんはかなさで、守ってあげたい!としか思えない。
どーして誰も彼もどの演出家も森田にわんこな芝居をさせたがるんだ!
前2作はともかく、今回は全く違う系統の役なはずなのに。
誰あろう剛様が、同じような演技しかできないと思われるなんてことがあったら耐えられない!
などと余計なお世話なことをぐだぐだ考えてきりきりしておりましたのですよ。
あと鶴川の位置にもびっくりちゅーか腰抜かしたけどなー。
ホンモノってこええ。
ちなみに原作読み返したら、シロツメクサはどっちかってーと柏木との出会いの方に出てくるという事実にブルブル震えましたよ。もちろんあんな使われ方じゃないけどね。
てなことであっと驚く改変にうろたえておりましたところ、第2回あもーんに何でも聞いたれやの会が開催される、しかも行ける日!ということで慌てて申し込んだらうっかり取れてしまいましたので、あもーんをシめる気満々で参加しました。
ネットに書かないでねーとさんざん言われたのですが、一日あたりのアクセスが100件にも満たない弱小サイトなので許してもらおうかと。
まずはなんできんかくってところについて、最初に依頼されたのはやっぱりむーじかるだったんだけど、どーせだったら日本発のオリジナルものをやりたいけど、提示された金額では一年に一本芝居打つくらいにしかならんのじゃー!てことで無理じゃと。
で、港町である横浜から日本のものを発信したいということで、文学シリーズを打ち上げましたとな。
自分があの小説をあまりに好き過ぎるので、違う視点から見たいということで、海外の方に翻案を作ってもらい、また新進の脚本家に脚本を書いてもらいーてな説明があり。
うお、チェックしてなかったんだが、「春の雪」の人だったんか。わたしゃ映画は見てなくて、脚本を雑誌で読んだだけなんですが、これももんのすごいざっくり具合でびっくりしたんだったよなー。そう言えば。
ちなみに台本は40稿を越えるらしいっすよ。
毎日変わる台詞に森田くんをはじめ皆よく付き合ってくれてみたいなことを言ってました。
で、小説についてかたるあもーんなんですが、
「溝口って能動的で諦めないよね、積極的に老師に何でも聞くし」ってそーいう解釈なんですか。
生きている理由を常に追い求めている主人公ってとらえ方なんですって。な、なんて前向きな・・・。
個人的にはここでもうクラクラしてたんですが。
ここで書かないでって言われた一個目。
キャスティングで最初に決めたのは、すみません森田くんじゃありません。とのことです。まーそうじゃろうて。
で、誰かっていうと、きんかくちゃんな訳ですな。
あもーんてきにはきんかくというよりその上の鳳凰のイメージだそうで。
まず彼を見つけて使ってみたくて仕方なかったんだろうなあ。
個人的に鼻につくんじゃーと友達にぶーぶー言った演出の数々とかもそうだけど(そもそも既視感バリバリなんじゃー)、手に入れたおもちゃを見せびらかしたくて仕方ないタイプなんでしょうなあ。
やってみて分かったのは、どーにも舞台に向いてない話だということ。あたりまえじゃー。
でも以前新派で上演された舞台について、みしまご本人が小説と舞台は別物だからこれはこれでアリと言ってたので、自分もそれにのっかっちゃえーと思ったらしい。
寺の作務を音楽で表したところについて、繰り返しの機械的な作業をイメージしたって言うんだけど、動きは美しかったんだけどもさ(あれって水と油の小野寺さんだったのねー、納得)、ケチャって音楽そのものが規制されたものから程遠いと思うのだけど。
ところどころに出てくる映像は、溝口の視点なんだそうですよ。
溝口鶴川出会いの場面の映像は鶴川のシャツなんですって。あれよく分からんかったのよね。
あもーんによると鶴川は溝口にとって太陽的な存在で、その美の象徴がシャツなんだと嬉しげにかたるあもーん。
そ、そんなどまっすぐな・・・・。
そりゃあそう書いてあるけどさ、もっと僻みだとか逆に鶴川からしたら明らかに自分の方が優位性を持ってることを認識した上での友情てとこがちらちら見えるような関係なんだろうなと私は思ってたので、あまりの相思相愛ぶりに顎が落ちたんですけども。
そうそう、そもそもこれは溝口の独白による小説なんだからさ、舞台上には複数の人がそれぞれ演じてはいるけれど、結局全ては溝口の脳内なんだ!と私は思うことにしたかった。
で、そんな答えを言ってもらいたくて無駄とも思える質問を敢えてしてみましたの。
「本来溝口のものであるはずの独白を、他の役者が語る作りにしたのは何故ですか?」
だってみしまの文章があまりに美しいから使わないわけにいかなかったんだもんてのが答えでした。
全部溝口に言わせちゃったらうるさいでしょって当たり前じゃー。
で、とりわけ今回は溝口鶴川柏木の3人を際立たせた作りにしたかったと。いわば三角関係みたいなってほんとに言ったんだから!
溝口この世の春(ってこれもほんとにあもーんが言った)な鶴川との出会いの場面を、まだ舞台には登場していない柏木(役の)高岡くんが語るなんてのも、役者さんにしたらほんとにやりづらいらしいんですよねとあもーん。
い、いやその前にその割り振りを無意識にやっとる姐さんが怖いわ。
あーそう言えばこの場面、2回目見るまで気が付かなかったんだけど、きんかくちゃんがはしっこでホーミーじゃなくてちゅんちゅん鳥のさえずりなんかして場面演出してくれてんですよね。きんかくちゃん溝口の春を応援してんだ・・・わあー・・・。
役者さんにとって、お客さんの顔を見て話すのって意外につらいことらしいんだよねーとあもーん。もーどんどん話が思わぬ方向へ。
すまん!私が悪かった!
とにかく無自覚であれが出来てるということがよく分かりましたよ。かえってすげえよ。
あと、みしまの言葉のうつくしさを大事にしたいってところはお芝居を見ても伝わってきましたな。
怒鳴らないようにということだけは言ってるとか。
一部絶叫系芝居も愛している身としては・・・。
ほかは色々ぶっちゃけトークとか。
劇場の設計はおれぢゃねえ、決まったときにはもうできあがってたんだようてな言い訳とか、色々面白いことやるからこの先も付き合ってねとか。
何か色々書いてたら、それなりに楽しかったんじゃんて気になってきたのう。
日々手を加えているとのことでしたので、あと大阪でもう1回見せてもらうのを楽しみにしておりまする。
あー、京都弁はねー、日ごろ関西弁しゃべってる身にはちょっともぞもぞしました。
まあ私の関西弁もね、20年ブランクがあるので、周りの人には、関西弁として違和感は無いけど地元の言葉ではないと言われるんですよ。
じもちーでなければ分からない程度なのかもしれまへん。
寝言を書いてたら夜が明けてしまったー。
今日はゾロに会いに行って来まする!
author : くらん | - | trackbacks (0)